2014年9月22日月曜日

日本の飛行機をつくれ!七試艦戦を任される

入社5年目にして頭角を現していた二郎は海軍の七試艦上戦闘機の
設計主務を申し付かる


大抜擢だが当時まだ国内で一から航空機設計という仕事ができた
先輩は実質的に皆無だったのではないだろうか


艦上機の勉強に、十三式艦上攻撃機に便乗し空母鳳翔に着艦する二郎と上司の黒川、着艦間近にエンジンからはオイルが噴き出し顔が真っ黒になる。
はからずも国産エンジンのレベルについても身をもって体験することに・・・



当時は日本独自設計の艦上戦闘機はなく、イギリスのグロスターガンベッドなどを購入、国産化したものを三式艦戦などと呼んでいた時代だった。
もちろん後の三式戦闘機”飛燕”などとはまったくの別物。この機体も信頼性がないのか発艦直後に海に墜落してしまう。世の趨勢はまだまだ大鑑巨砲主義の時代、空母での航空機の運用自体が懐疑的だったのではないかと思われる。




そして二郎がはじめて設計した七試艦戦が初飛行に望む

ここで多くのスタッフが主翼後縁を押しているシーンがあるが、通常は厚みのない主翼後縁を押すことは無い。事実だとすれば前縁は手が届かず、トーイングトラクターも手配できなかったのかもしれない。いや、そんなものは、まだなかったのかな。



白日の下に引き出された機体は金属機ではあるものの、お世辞にもスマート
な機体とはいえず作品中で二郎も自ら自嘲的にアヒルと称していた



垢抜けないスタイルにくわえ、中央翼と外翼の外板をつなぐファスナが外面に出ていること、大きなズボンのようなスパッツが野暮ったさに輪をかけている
ように思える

そしてこの機体もまた事故を起こし、傷心の二郎は職場から一時、身を引き避暑地にて療養することとなる。

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