2014年10月1日水曜日

申し訳程度に登場するゼロ戦の位置づけとは

堀越二郎といえばゼロ戦の設計者としての認識が世間一般では常識である。
しかし、このアニメ風立ちぬの中では、原型の妙な逆ガル機以外ではほとんどその姿を見ることは無く、最後の最後にチラッと登場するだけである。



しかも、ゼロ戦については駿もまったく興味はないかのような手を抜いた描き方だ



おそらく堀越自身が96艦戦に執着があったように、この風立ちぬを描いた宮崎駿にとってもゼロ戦はどうでも良い機体だったのだろう。



この垂直尾翼はAT6テキサン改造機だってもう少しはゼロ戦っぽいだろうと思うくらいのヒドさだ
楕円翼や逆ガルに魅力を感じているであろう駿にとって直線テーパー翼の翼端をまるめただけの平面形や低翼でフィレットのついた一段上半角のゼロ戦のフォルムは違和感を感じているのではないか、そんな気がする。

そしてついに96艦戦が誕生する

7試艦戦の失敗経験を経て二郎は9試艦戦から96式艦上戦闘機
を生み出す


固定脚、オープンコクピットではあるものの低翼単葉のモダンな
全金属製の戦闘機の誕生だ


試作当時は逆ガルであるが正式な四号艦上戦闘機では
中央翼の下反角はなくなり翼端上半角になおされた


主翼、水辺尾翼ともに平面形は楕円翼を用い胴体も二郎
の理想とする紡錘形に近い、本庄がユンカース的なのに対し
どこかハインケルの影響を感じさせる


速度性能は要求性能を上回り、二郎にとって本機はゼロ戦よりも納得
の行く会心作であったようだ

2014年9月29日月曜日

八試特偵のころ


本庄の開発中の八試特偵を見る二郎



これは飛ぶよ。風がたってると二郎は感想を述べる。ユンカースかぶれはして
いるものの金属機の道を開き、にっぽん号の世界一周、九六陸攻につながる
系譜はここから始まっている。
面白いエンジンだが最初の機体は液冷発動機で4肢木製プロペラだったのだろうか

飛行機と設計センス

二郎はカプロニおじさんなどけして尊敬してないだろうな、と思うのは

途中に出てくるこの複葉機からも感じられる



上翼よりも下翼の方が面積の大きな複葉機というのは著しく空気力学的な
効率が悪いと思わざるを得ない

複葉機の性能は上翼と下翼との隙間が大きいこと、スタッガーが適度に
あること。上翼でリフトを稼ぐので、どちらか大きくするなら上翼を大きく
すべきというのがセオリーだろう。



伯爵がなぜこんなカタチにしたのかは不明だが、潤沢な資金を背景に

とりあえず無い形式は試してみないと気が済まぬ性格だったのではなか

ろうか。製造された航空機からはあまりセンスの良さとか合理的帰結として
の航空機を求めていた姿は見えないのである。


多大な貢献は認めるが・・・

2014年9月23日火曜日

なぜ逆ガルにそこまでこだわるのか

二郎の理想とする機体としてしばしば登場する逆ガルの機体


九試艦戦は最初は逆ガルであったが九六四号艦戦では中央翼の
上反角をゼロにして通常の翼端上反角としている




ゼロ戦は最初から翼根からの上反角であり逆ガルではない



しかし作品の中では菜穂子の気をひくために二郎が作ったペーパーグライダー
までが逆ガル翼だ。どちらかというとこのスタイルは二郎のこだわりではなく、
駿のこだわりのように思えるゆえんだ



◆逆ガル翼の特徴

メリットとしては屈曲部から脚を生やすことで脚柱を短くできること。
また低翼配置の場合に胴体との空力干渉を避けるために必要なフィレットがいらない、大迎え角時の前方視界が広いなどが考えられるが、一方で上反角効果を相殺し、桁の工作や折れ曲がり部分での流れの剥離など、デメリットもある。
実機でこの逆ガル翼を使ったのはシュツーカやヴォートF4Uコルセアくらいで日本機では流星改が浅い逆ガルといえば言えるだろうか。
なぜ平面胴体のペーパーグライダーにまで逆ガルを好んで使用しているのかは作者に聞かねば分からないが、何か特徴を持たせたかったこと、もしくはその逆ガルのスタイル自身に魅力を感じているからなのではないだろうか。

2014年9月22日月曜日

日本の飛行機をつくれ!七試艦戦を任される

入社5年目にして頭角を現していた二郎は海軍の七試艦上戦闘機の
設計主務を申し付かる


大抜擢だが当時まだ国内で一から航空機設計という仕事ができた
先輩は実質的に皆無だったのではないだろうか


艦上機の勉強に、十三式艦上攻撃機に便乗し空母鳳翔に着艦する二郎と上司の黒川、着艦間近にエンジンからはオイルが噴き出し顔が真っ黒になる。
はからずも国産エンジンのレベルについても身をもって体験することに・・・



当時は日本独自設計の艦上戦闘機はなく、イギリスのグロスターガンベッドなどを購入、国産化したものを三式艦戦などと呼んでいた時代だった。
もちろん後の三式戦闘機”飛燕”などとはまったくの別物。この機体も信頼性がないのか発艦直後に海に墜落してしまう。世の趨勢はまだまだ大鑑巨砲主義の時代、空母での航空機の運用自体が懐疑的だったのではないかと思われる。




そして二郎がはじめて設計した七試艦戦が初飛行に望む

ここで多くのスタッフが主翼後縁を押しているシーンがあるが、通常は厚みのない主翼後縁を押すことは無い。事実だとすれば前縁は手が届かず、トーイングトラクターも手配できなかったのかもしれない。いや、そんなものは、まだなかったのかな。



白日の下に引き出された機体は金属機ではあるものの、お世辞にもスマート
な機体とはいえず作品中で二郎も自ら自嘲的にアヒルと称していた



垢抜けないスタイルにくわえ、中央翼と外翼の外板をつなぐファスナが外面に出ていること、大きなズボンのようなスパッツが野暮ったさに輪をかけている
ように思える

そしてこの機体もまた事故を起こし、傷心の二郎は職場から一時、身を引き避暑地にて療養することとなる。

2014年9月16日火曜日

クールなドイツ機とホットなイタリア機

ライセンスを購入するために学びに行ったドイツの機体とは
巨人機は巨人機でもまるで趣の異なるイタリア機



高い技術力のあるドイツに対し、カプロニは黎明期に伯爵の潤沢な
資金であらゆる航空機の可能性を試していたようにみえる




さらに申すなら、カンピニのように世界に先駆けたのエポック
メイキングな機体もある代わりに



映画に出てくるこのCa60のようなでかいだけでとても合理的
とは言い難い設計も多く、現実に技術を学びに行ったドイツと夢に
しか出てこないイタリアの位置づけを示しているようにも思える。

二郎を通して駿自信の合理的で質実剛健なドイツと自由な発想で
生きる夢としてのイタリアを対比して表現したかったのかも知れない